この街、この人、その心。 変仁さん (通称 木津川市在住)

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鏡の国のある人。

変仁さん (へんじんさん 通称 木津川市在住)



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プロローグ 

「サナギはすごいな・・・」とその人がぽつりと言った。
へっ?
三秒ほどの静寂。テレビなら放送事故になる。
「ついこの間まで葉にすがりついてムシャムシャ食べてた奴がやなあ、サナギになったと思ったらそこからぱかっと飛び出して蝶になりよる。空を飛びまわりよるんや。すごいと思わんか。何億年という進化の時間が、あのサナギの中にぎゅっと凝縮されているみたいやんか。ええ、なあそう思わん?すごいなあ・・・、なあ」
ぽっかーん。
口を半開きにしたままでいると、お構いなしにその人は話を続ける。話題はすぐにサナギから白鯨の話になり、フランスの哲学者ベルクソンの本の話に飛び、翻訳が下手やからよう分からんと苦情を言う。それは翻訳者のせいばかりではないだろうと思っているうちに、ニワトリの雄が雌にどう近づくのかということをまるで物陰のパパラッチのように語り出すのだ。
とめどない。その間、ぽかん、ぽかん、ぽかん。
口はさっきから半開きのままだから、歯が乾いてかなわない。

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第一章 

その人がくれた名刺には「変仁」とだけ書かれてあった。いや、もうひとつあった。携帯の電話番号。それだけ。肩書、住所その他一切なし。
中国系の人ではない。れっきとした日本人。京都府は木津の住人である。先祖代々ずーっと木津。大阪や京都や、神戸や奈良や東京や、仕事の関係やそれ以外でいろんな人に会ってきたけれど、どうもこの木津の地で会うあの人もこの人も、少しばかり調子が違うのだ。個性的と言えば、かなり個性的。けったいと言えば、とてもけったい。通常のラインからは大幅に逸れた人が多い。それもあっちに逸れたり、こっちやそっちに逸れたりで多種多様。この変仁と名乗る人も、かなり変わった人なのだった。
本名はちゃんとある。だが家の表札にも大きな字で「変仁」と掲げているし、名刺にもそうあるしで、その人のことを以下では変仁さんと呼ぶことにする。自分のことを変ちゃんなどと呼んだりもするから別に構わないだろう。
その変人さんのこと、いや変仁さんのことである。
変仁さんはこう見えても(?)日本で有数の青銅鏡のコレクターなのだ。全部で三十種類ほど、総数二百枚を越える青銅鏡を所蔵している。種類的に言えば過去に作られた青銅鏡の八割がたはここにあるとのことだ。
十代の頃、古銭集めが好きな少年だった。その趣味の延長線で青銅鏡に出逢った。二十二、三歳の頃だったという。もう喫茶店のオーナーとして独立していたけれど、それにしても早熟な趣味趣向だと思われた。
奈良にある富豪がいて、なぜかその人と変仁さんが懇意になった。その人が手持ちの青銅鏡を売りたいのだが仲介してくれんかと変仁さんに言った。古銭関係で知り合ったその筋の人たちに渡りをつけてあげた。提示された引取り金額の安さに驚かされる。古銭に比べて安すぎると思った。
「保護したらなあかんと思ったんよ」と変仁さんが言った。
青銅鏡を?
うんと変仁さんが頷く。
「不当評価やで。そう思わん?こんなに精巧に作られたものが二束三文のように扱われよる。これは俺が保護してやらんと、散り散りになってしまってあとも残らんようになると思ったわけや」。
変仁青年の義侠心は次第に深い愛に変わっていく。愛は相手のことを何もかも知りたいという衝動を彼にもたらした。まず青銅鏡関連の書物を探した。
「ところがや、その頃青銅鏡について書かれた文献なんてほとんど見当たらんかった。つまりは世の中は青銅鏡にまるで関心がなかったということやね。二束三文のわけもここらへんやろな」。
だが探せばあるもので、ある図書館でついにある書物と出逢う。それで必要なページをコピーしようと係員に申し出た。どのページをと係員が変仁青年に尋ねた。
「全部・・・」。
熱で潤んだような眼をして変仁青年は答えた。あなたの全てが欲しい・・・。
もちろん断られた。失笑付きで。
仕方なくその本を借り出して、友人に頼み込み、そこの事務所にあるコピー機で全ページの写しをとったのだという。
恋する男に不可能もタブーも、著作権に対する配慮なんてものもまるで無かった。
「だって、知りたいやんかあ」。
記者の視線に冷たいものでも感じたのか、変仁さんが語気を強めてそう言った。

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第二章


「人間な、やめなあかんと思たんや」。
変仁さんがギョッとするようなことを言い出す。
青銅鏡などという古色蒼然としたものに興味を示すにしては、二十代前半は少し年若すぎるように感じた。その年頃が興味をもつ対象はもっと他にいろいろあったはずだろう。その旨を質問すると、変仁さんがなにやかやと語ってくれた末にぽつりとそう言ったのだ。そんなことを思ったのは中学生の頃だったという。やはりここでも早熟。というかすごく老けちゃってる。
「小学校までは ヘビは殺すは トンボの羽はむしるは カエルを2Bで吹き飛ばすは うそはつくは・・」。
インタビュー前に手渡された自分のプロフィールにそうあった。自分のプロフィールを書いて寄越す人も珍しい。その冒頭に「宇宙暦 19520428 出現」と書いてあったりして、すごく危険なにおいがするのだが、まあそれは置いておくとして、小学校までの変仁少年は至ってまともな腕白坊主だったということなのだ。少なくとも我々が少年だった頃はそう思われていた。いずれ歳を重ねれば、そのような残酷と見えたものも次第におさまり、まともになるのだと人々は信じていたし、ほとんどそうなった。
だが変仁少年は一人そう思わなかったのだ。自分のおぞましさに戦慄した。嗚呼、なんて僕は悪い子なんだろう。こんな人間ではいられない。人間やめなければいけない。さもなくば、こんなおぞましい人間を越えた何者かにならなければ。
「自分が人間なら 人間をやめようと思い 自分の一生で人を越えるには真理が必要と思い 求め続けてふれた」。(プロフィール原文ママ)
ふれた・・・? ふれた、か、うーむ、ところで何に?あるいは何が?
そう尋ねても変仁さんはにやりとしたまま答えない。
中学生にしてすでに人であることを超越しようと志してしまった少年は、真理追求のため自らに研鑽を強いる。いずれどこかで出逢うかもしれない超人先輩に対して、まともな問答ができるようにスキルを高めようと考えたそうである。絵とか骨董とか美術品に対する審美眼も必須と考え、中学生ゆえ財布が許す古銭から始めてついには青銅鏡に至ったというわけだった。

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第三章

中学生で真理をねえ・・・。
嘆息まじりで記者がそう言うと、変仁さんは自分の書いたプロフィールのある箇所を指で二度ほどつついた。そこにはこう書かれてあった。
「たとえば 真理は必要とするものには存在するが必要としないものには存在しない。われわれの学問ではとらえきれないもの +と−が同時同場所に有り 0の状態で無の0ではなく有の0である 理解できない有の0なんて想定外だ」。(原文ママなのです、ホント)
5秒ほどの沈黙。
その間、プツプツプツとホワイトノイズが頭の中を流れていった。またもや放送事故。帰りたくなった。
「人間にはないはずの感性を、どうも俺は持ってるようなんやわ」。
席を立とうとする記者を鋭い目線で制しながら、変仁さんは密やかにささやく。
ピアノの音を聴くことができる、そう言うのだ。
何もないのにである。間違ってはいけないのは、ピアノの音が聴こえてくるのではないということだ。そういう人は確かにいるらしい。だが変仁さんの場合はそういうのとは違う。ピアノを聴こうと欲すれば、何もないはずなのに妙なる調べを聴くことだできるのだという。iPodなんて目じゃないのである。ウォークマンなんてぜんぜん遅れているのである。聴こうと思うだけでいいのだ。するとピアノの音が・・。
ふふふふと、変仁さんは目だけで笑っている。
はふぇーーと、こちらはへしゃげている。
今でも聴こうと思えばピアノの音が聴こえるんですか、と不気味な沈黙が嫌さに、やけくそ気味に尋ねてみた。
「ああ、今は無理やねえ。ものごっつい精神の集中がいるんやわ。セッティングも必要やしね。すごーく疲れるでえ、ほんま」。
ピアノを聴くのも意外と大変なようなのである。
そんなことができるようになったのは二十年ほど前からのことだという。四十代の前半あたり。思考することにより、人間にはどのようなことでも可能になるのではないかと思いたち、思考に思考を重ねた。そのおかげで眠りを失ったけれど、思いもよらない体験を幾度もしたと語るのだ。どんな、とは尋ねなかった。もう疲れたし・・・。
「外宇宙の探検はNASAやJAXAにお任せするしかないけど、内宇宙の探索は自分一人でできるからね、楽しいよね」。
変仁さんの思考力は、内宇宙のどこかにある深淵の中の秘密を探り当てようとし、広大無辺の彼方に微かな真理の兆しを求め、無窮の時間の中に悠々と遊ぶのだが、表現力の方がどうもそれについていけてないようで、何を言っているのかさっぱりわからない。
チ・ン・プ・ン・カ・ン・プ・ンなんです。ほんと、勘弁してください。

fleur

エピローグ

変仁さんの鏡について取材して書くという約束だったけれど、鏡の話よりこの人のことの方が面白くなり、ついつい筆はそちらの方に流れてしまった。お許しあれ。鏡について興味のある方は変仁さんの携帯の番号を記すので直接連絡してください。この記事を読んでもまだ変仁さんから話を聞きたいと思われるのならば、とうことではあるのだけれども。
変仁さんとはこれまでの取材対象者の方とは違って、今回の取材で初めて顔を会せたというわけではない。ある人を通じて紹介され、何度も会って、何度も話している。そのたびにボケるので、すかさず突っ込みを入れるけれども通じたふうもない。完全無敵の変仁さんなのである。そんなことを書くと、よせよと人並みに照れるかもしれない。(ほめてないよー)。
だがときどき思うのだ。この人の方が思うがままに、それでいて真っ当に生きているんじゃないかと。
変な人だなと思い、そのことを遠慮なく口にし、イラついて噛みついたりするけれど、そんな時でも変仁さんは少しだけ黙ってから、すぐにぱっと明るく笑い「あれやなあ・・・」などと前ふりをして、また奇妙なエピソードを語りはじめるのだ。

こんなことを思う。
鏡を間にしてこちらとむこうがある。透明の結晶に隔てられた二つの世界。右は左で、左は右で。似たようでありながら、まるで異なっている。こちらの真実はあちらの嘘で、あちらの真実はこちらで理解されることはない。
鏡を覗き込んでいるこちらがリアルだと思いたいが、本当はあちらから覗きこまれているだけの虚構かもしれず、まともで普通だと思っているそのこと自身が、まるで誤解なのかもしれない。そんなことを考えたりすると、さてさてどちらが変なのかわからなくなってきて、とても厄介なのだ。

fleur

変仁さん
090-3975-2413
電話を掛ける際、どう呼びかけていいか迷われるかもしれませんが、 電話を受ける当人には、まるで抵抗がないので
「もしもし、へんじんさんですか・・・」と気軽に呼びかけてください。

fleur







       ア、モシモシ、ア、ハイ、ヘンジンデス・・・・。

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