TOP特別取材この街、この人、その心。河井規子さん(木津川市 市長)

この街、この人、その心。 河井規子さん(木津川市 市長)

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河井規子さん 木津川市 市長

その人はひょいとこちらの前に現れた。
来る前に顔写真を見ていなければ、事務方が事前のレクチャーに入ってきたのかと思っただろう。
お世話かけますと言いかけて気づいた。
木津川市の市長その人がにこやかに笑いかけていた。
あっ、市長・・・と間抜けた声を上げてしまった。出だしから意表をつかれる。
別にファンファーレは鳴らずとも、市長ともあればそれなりの登場となるだろうと
勝手に思い込んでいたこちらが悪かった。
ご本人はそんなことに一向に頓着していないようなのだ。
挨拶もそこそこに取材は始った。

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「成り行きで町会議員になったようなもんなんです」 


近所の商店のおかみさんと
店先で話しているような気安さがあった。
気負っていた気持ちがすっと溶けて、すごく楽になった。
成り行きみたいな次第で町議になったいきさつを語ってくれたが、なるほどだから妙な野心の影を感じないのかと思った。
だが待てよ、成り行きだけで市長にまでなれるか?

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「色んな人たちに出会いました。
その人たちの地域に対する思いを議会に伝えることができる。そのことにやり甲斐を感じはじめました」 

最初は一期四年も町会議員を続けられるか心もとなかった。
何にも知らなかった。だから役所のスタッフをつかまえては質問攻めにしたこともある。勉強もした。そしていろんな人たちに会った。様々な思いがあった。その思いを託される。なんとかしようと奮い立った。なんともならないことの方が多かった。だがなんとかなることも僅かにあった。そういうことを続けているうちに、自分は町の人たちと町政を繋ぐ橋なのだということに気づく。思いを掛け渡す橋なのだと。だったら今のような木橋じゃだめだ。あまりに心もとない。猛烈に走りはじめた。大きな鉄の橋になるための修練を自分に課した。俄然この仕事が面白くなってきた。

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「今やるべきことを、 今やらないで、いつやるんです」


もちろん今度は自ら望んで木津町の町長になった。山城町と加茂町との合併を志したのもこのときだ。
人は変化を嫌う。今の状態のまま、ちょっとずつでもいいから暮らしやすくなればと思っている。だがそうはいかないのだ。時代は動いている。変化は必然。地域も変わっていかなければならない。 今やるべきなのだと思った。この町の、この地域の将来のために、今自分は町長をしている。だったら今自分の手でやるべきだ。 その思いが三町をひとつにした木津川市を生み出す原動力になった。 だがことは平穏には進まなかった。
非難の嵐がやって来た。誹謗中傷、罵詈雑言、喧々囂々の中にいた。
耳をふさいでも様々な言葉が頭の中をどたどたと走り回った。眠れない夜が続いた。もう目覚めなければいいのにと思ったこともあったそうだ。
だがなぜこんなことに着手してしまったんだろうとは思わなかった。
やらなければならないことだという思いは変わらなかった。だから耐えられたんでしょうねと市長は笑った。
「それに、これで終わりってことでもないんですよ」
遣り残したことがあると言うのだ。
さていつできることか。だがやらねばならないことだと思っていると。
えー、また茨の道を行くのですかと、こちらは他人事ながら深いため息をついてしまった。

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「一人では何にもできないです。
みんなの協力がなければ、ほんと何にもできない」

2007年に木津川市の初代市長になった。
凄腕なんですねと感心した。普通ならここでニヒルな笑みを浮かべて、もちろん私一人の力じゃありませんがねと答える場面だ。
ところが河井さんは慌てたように手を大きく振った。
とんでもない、議会と役所のスタッフの協力があったればこそ、
あんな荒波の中を突き進むことができたのだと言う。
私の力だけでは、とてもとても・・・。謙遜には見えなかった。
激戦の日々を思い出すように遠い目をした。
あのね、と彼女が言いだした。
「何か新しいことをやろうって私が市のスタッフに言うでしょ、するとすごいんですよ」
「えっ、どうなるんです? 」
「たちどころに出来ない理由リストが出てくるんです」
よく聞く話だ。出来ない理由を理路整然と並べ立てて、何もしようとはしない官僚という例のやつだ。
ところがそういう話ではなかったのだ。
出来ない理由リストというのは、視点を変えれば克服すべき問題リストでもある。
勢いだけで進めようとすれば、そんな問題群にぶち当たって座礁してしまうこともある。
だが事前に岩礁のありかが分かっていれば、それを避けて進むことができ、
いずれは新大陸に行き着くというわけだ。
すごいですよねえ。そんなことがたちどころにリストアップできるんですからと、河井さんは真顔で言うのだった。
なるほどそういう考え方もあるのか。
どうやら自分には出来ないことをやれる人たちへの、素直な敬意のようなものがこの人にはあるようなのだ。

fleur

「方針を決めたら、ぶれないこと。
それがリーダーの役目なんじゃないでしょうか」


行政マンに舵取りを任せて、後は良きようにと泰然と構えていればいいかというと、さにあらず。
事前に問題のありかがわかっているからといって、問題が簡単に解けるというものでもない。こちらで問題が発生し、あちらで問題がこじれる。問題を回避するために所期の目的からずれていきそうになることがある。妥協もまた政治戦術のひとつなんですからという囁きもある。そういうときに断固としてNO!というのがリーダーの役目なんだと河井さんは言った。
でも失敗してしまったら・・・。
大丈夫、頭のいい人たちですから時間はかかっても問題を解決してくれます。
今までもそうでしたし、これからもそうだと思います。
そう語った時、穏やかな目に一瞬、鋭い光が走ったように見えた。

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「自分はどう感じるか。子供たちはどんなふうなら楽しいか。
うちの母はどうしてもらったら嬉しいか。
そういうことをいつも考えます」

どのような形で市民の声を聞こうとしているのかと尋ねてみた。
出来るだけ外に出て行って、市民の人たちと交わるようにはしているらしいが、それにも限度がある。
でもね、と河井さんは言葉を継いだ。
私もまた木津川市の市民の一人なんです。この町で生まれ、育ち、家族と暮らし、働いてきました。愛着もあります。
うちは家族四代、九人で暮してるんですが、家族そのものが木津川市の市民の縮図みたいなもんなんです。
だからどうしようと考えた時、まず自分に問いかけます。
どうしたら楽しいだろう。どうしたら嬉しいか。どうしたらもっと便利に暮せるか。
そんなことを家族のそれぞれの視点になって考えてみます。正解なのかどうかは分からないですが、
そういうことをいつも考えながら仕事をしています。
「子育てしやすい場所にしたいなって思いが大きいですね」
最後にそう付け加えた。母としての正直な思いなのだろうと感じさせられた。

fleur

「YESとNOの間の狭い道を
おずおずと歩いているようなものです」


ぶれないことがリーダーの役目と言ってはみても、はて本当にこれでいいのだろうかと自問の思いが頭をもたげてくることもある。賛成の声があれば、反対の声があるのは当然で、どちらかというとそちらの声の方が大きく響く。そういう時にはぶれるなと思っても、震えがくる。
「人間ですもんねえ」と河井さんがぼそっとつぶやいた。
だが震えたまま立ち止まっていても何もはじまらない。
反対の声にも理はある。だから議論を尽くす。けれど議論を尽くしてみても100%YESということにはけしてならない。決を下す。それが自分の役目なのだと言う。
リーダーとは責任者でもある。その名の通り、責任を負う者。
自ら下した決に対する全ての謗りを一身に引き受ける者であるともいえる。
河井さんの話を聞いていると、リーダーというのは先頭に立って華々しく旗を振る者というより、
殿(しんがり)にいて大きく身を挺し、わが子を守る母鳥のようなイメージがどうしても湧いてくる。
もしそうなのだとしたら、この職は半端な知力では到底担いきれぬ、
人間力総動員の大変な仕事なのだとつくづく思い知らされる。

木津川市の市長に会いに来て、河井規子という人物に出会うことができた。
驚かされたり感心したり笑ったり、それでいてけっこう質量のある時間だった。

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