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なかまつ小百合



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なかまつ小百合

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ある女(ひと)の話


なかまつ小百合さんは、あるセミナーであなたの人生でスポットライトがあたっているなと思えたことを三点上げなさいという課題をもらった。
そこで彼女は、卓球で全国大会に出場したこと。着物やメイクを学ぶことで女性としての自信を取り戻したこと。そして不動産や証券の取引で資産を増やしたことの三点をあげた。
するとそのセミナーで会ったばかりの人に「あなた、お金の話をしている時が一番生き生きとしている」と言われたらしい。
卓球よりも、着物やメイクよりも、何よりも。
その話を聞いたとき、正直、このなかまつ小百合という御仁、もしかして守銭奴なの?と思ったりした。
これは近づいてはいけない人だ、とも。
いや、いや、いかん!そのような色メガネで見るのは、分別のある大人の為すことではない。
と、思い直して、投資の教室をやっていると聞いたので、恐る恐るではあるけれど観察させてらうことにした。  



  大阪市内にある高級そうな会議室でそれは開かれていた。
女の人、たくさん。男の人、一人だけ。
女の人たちのほとんどは、まだ小さな子供がいそうな主婦の人たちのように見えた。
男の人は、はて、どうであったか。
小百合さんがプロジェクターを使って講義を進めていく。既に何回か受講している人たちなのか熱心にメモをとり、時折小百合さんが問いかける質問にもすぐに返事が返ってくる。
そんな時間が過ぎて休憩になったので、女性の生徒さんの幾人かに、なぜ投資を?と尋ねてみることにした。
「夫の収入だけに頼っているわけにもいかないかなと・・・」
「離婚したけれど、子供がいるから働きに行けないので、投資の勉強をして生活の何らかの足しにしようと思って・・・」
「まるで違った世界があるようで、とても面白いかなと。それに自分の才覚でお金が稼げるのって、素敵じゃないですか・・・」
自立せざるを得ない人。自立しようとする人。
いずれにせよ、男の稼ぎをあてにせず、生きていければと考えている人が多かった。
かつて結婚は永久就職などと呼ばれて、妻は夫にオンブにダッコだったのが、時は流れて女たちの意識はまるで様変わりしているようだ。
さて、それでは男たちはどうか。
なんか、あまり変わっていないような気がするなあ。
その分どんどん差がついて、いずれ不用品置き場に置いてけぼりにされるのではないかと思ってしまう。

またまた驚かされたのだ。


そんなつまらないことを考えていると、また女たちの新しい局面を思い知らされる出来事があった。
ある日、小百合さんがこう囁いたのだ。
「私ね、還暦のパーティをするんだけど、来ませんか」
京都の駅前にあるホテルの宴会ルームを借り切って、自分の還暦のお披露目をするというのだ。会費一万円。
げっ。
還暦の祝いなんてのは家族が集まってやるもので、そこに親せきが加わることはあるかもしれないが、知り合いを呼んで、会費を万札一枚取ってパーティするなんて聞いたことないぞ。
そう思いかけて、ある服飾デザイナーの女性が言っていたことを思い出した。
 

彼女が言うには、自分の顧客たちが集まってお金を出しあいファッションショーを開催するのだという。
いわゆるパトロンというやつかと思っていたら、そうでもあるのだが、ショーの花形であるモデルは、そのお金を出した当のマダムたちが務めるのだ。
つまりは自分の気に入った服をまとい、華やかにステージを闊歩するのはプロのモデルさんではなく、おば様たちだということだ。
げっ。
「そういうのって、うちだけじゃなく、今、当たり前のようになってきてますよね」
デザイナーはそう言うのだった。
自分で自分を演出して、自らが演じ、自分自身で楽しむ。
なんと、こちらがぼんやりと歳月をやり過ごしているうちに、女たちはとんでもない領域にすでに到達しているようなのだ。
そのデザイナーの好意でファッションショーの一部を見学させてもらったが、妙齢のご婦人たちがきらびやかな衣装に身を包んで、 うっとりとステージでポーズをとるのを見ていると、それも何人も何人も見ていると、 ついには腹の底のほうから空気の塊がせりあがってきて深々とした息がゆっくりと漏れ出した。
ため息をついたわけではない。あきれ果てたわけでもない。
それは巨大な感嘆符であって、女という性の凄みを見せつけられた、ちっぽけなオスの身震いであったように思う。

歳を重ねることの意味がまるで違う。
男たちとはね。


  なかまつ小百合さんがステージの上で会社時代の元同僚と調子の微妙にずれた漫才を繰り広げ、女友達と弾けるようにダンスを踊り、
ついには美声さえご披露に至るという彼女の還暦パーティを見ていて、やっぱり大きな感嘆符が頭の上でぱらりん、ぱらりんと明滅して、 女であるのって、とても楽しそうやなあとつい思ってしまう。
女は自分で自分を楽しむ術を知っている。
そう思った。
男にはないなあ、こういうのって。
やはり物心つくあたりからお化粧に興味をもち、美しかったり、奇麗だったり、可愛かったりする服にうっとりして、 鏡の中にいる自分自身と常に語り合ってきた時間の積み重ねが、そういう生命体を作り上げるのだろうか。

老いて益々盛んなり。
そんなことも思った。
若さはその季節の輝かしさをいっぱいに放っているが、歳を重ねるごとに光は内に向かい、沈潜して穏やかな陽だまりのような光をたたえるようになる。
けれど時折その光は高出力のエネルギーを振りまいて、あたりをまばゆく照らし出すのだ。
最近、小百合さんはウォーキングのレッスンを受けているのだという。
高いピンヒールを履いて背筋を伸ばし、お腹を引っ込めてまっすぐに前を向いて歩く。
「これが大変なのよ」
そう言って笑っているけれど、でもね、と付けくわえるのだ。
「美しく歩くことを身に着けることで、これから先ずっと、おばあちゃんになってもきれいな姿勢を保つことができて、 立ち居振る舞いにも華のある女になるんだって、そんなふうに思ってる」
ああ、女たちはまだまだ成長を続けていくようなのだ。
すごいよね、参っちまうよ。
記者は白旗を頭のてっぺんに突き刺して、女たちの振る舞いを眺めているほかはない。
けれどそれもまた、この歳の男の密やかな楽しみでもあるのだよと、ま、言わしてもらおうかな。

 

 

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