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特集:鹿背山の人 青木正昭

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鹿背山にながく暮らすと、こんな手になるらしい。
柿を作る人 青木正昭

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かつて手と頭は絶妙なコンビだった。
手を器用に動かすことによって脳は飛躍的に大きくなり、容量を増した脳のおかげで、手はより高度な技を駆使できるようになった。
だがいつの間にか手と頭は離れ離れになって、互いにそっぽを向くようになった。 頭は頭のことしか考えなくなり、手は手のことで精いっぱいになった。

青木さんの手は大きい。
この手で柿の木を育て、芋を植え、筆をとり、粘土を捏ね上げて焼き物を焼いた。
話を聞いていて、語彙の豊かさに驚かされる。かなりいろいろな書物を読んでおられるようだ。
NHK特集なんぞの影響で、朴とつな柿農家の老人というような類型的なところで
人物把握していたこちらが恥ずかしくなる。
ただたんなる読書人ではない。
知識が知識のためではなく、農という実践の中で培われ、
土が返す言葉がまたあらたに知識を積み上げる。
そのような往還の中で自分を鍛え上げてきた人のように思えた。
手を通して考え、思考は手を通して実践され確かめられる。
この大きな手の人は、大きな智の人でもあるらしかった。
さて、頭が先か、手が先かと青木さんに問えば、
「まずは手ですやろうなぁ」と答えられるのではないか。そんな気がした。

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鹿背山の青木家は七代まで遡れるという。
ほぼ三百年くらいか。
この地で、血を受け継いできた。
新興住宅地を流れてきた根無し草のわが身にとってみれば、青木さんの足元にはぶっ太い根が地に噛みこんでいるようにも見える。
水耕栽培でも適切に栄養をやれば植物は育つ。
だが固く暗き土くれの中に根を伸ばし、ぎりぎり噛みこんでいかなければ大きく育つことはない。
それが七代も続けば、どんなことになるのか。
すでに魔性を帯びているかと、青木さんの顔を覗き込むと柔和に笑っている。
だが時おりきかん気の光がその顔を斜めに走ったりするのだ。
今度の4月の誕生日に生前葬をするのだという。
元気なうちに皆さんにお別れをということですかと問うと、なんの、一区切りつけますのさと答えた。
どうやら人生をもう一巡りするつもりらしい。
こちらはそろそろ仕舞支度をしようかと後ろ向きなことばかり考えていたから、
まるで冷笑を浴びせかけられたようで、ぶるっと身震いをした。

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地と血と智が混然として一体化し、
ひとりの人間を作りあげる。
傑作なのか、失敗作なのかはわからない。
だが今までに見たことも会ったこともない人物が柿の木の前に立っている。
この地がなければ青木正昭はない。
望むらくは青木正昭なくしてこの地はないと言わしめたいところだが、そんな不遜は慎むべきだろう。
だが青木さんの細められた眼の向こうにちろりと炎が見えるのも確かなことなのだ。

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