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ひと・人・ヒト 森島 梓

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瞑想したり、迷走したりで・・・、ハイ、今日もがんばるのです。

森島 梓さん
ヨーガ・コミュニティスペースLOKAHI(ロカヒ)主宰
木津川市相楽城下12−6 岡野ビル2階
https://space-lokahi.jimdo.com/

fleur

 よく笑う人なのである、この人は。
 きゃっきゃっと嬌声を上げるでもなく、ほほほとおしとやかでもなく、気がついたら満面の笑みを浮かべている。まるで涼しい風が吹いているみたいに。
 森島梓さんはヨーガのお師匠さんなのである。記者を含めたおっさん三人と年月をそれなりに重ねられた淑女おひとり、計四人の高齢者だけのヨーガ教室で教えを乞うている。
 彼女の指導は容赦ないのである。肉はぎしぎしときしみ、骨はごりごりと悲鳴を上げる。
 あ、無理、あ、無理。あ、筋が、あ、筋がぁぁ・・・。
 は!・・ひ!!・・ふ!!!・・へ!!!!・・ほぉ・・・・・・。
 高齢者たちは吐息のような、つぶやきのような、やはり悲鳴のような声を上げながら頑張るのである。
 ほぼ一時間、拷問のような、お仕置きのような、やはりDVのような時間が過ぎ去る頃には身体が快感を覚えはじめているから不思議だ。
 血液がまるで高原を流れ落ちる清涼で透明な滝のように細かな飛沫をあげるのが感じられる。
 亀の甲羅のようであった背中がぶるんぶるんと打ち震えるハンモックのようにしなやかになり、ギクシャクする腰に油がさされて、へたっていたベアリングとギアを取り換えたように動きがスムーズになる。もちろん二三日身体の動きに支障をきたす者もあるけれど、それを過ぎると二つか三つ身体が若くなっていることに気づくだろう。
 (そうやと思う。そうちゃうやろか。そのはずなんやけど・・・。どうやろ・・・。ま、人それぞれやからねー)
 もちろん高齢者をいじるのが森島さんのメインストリームではない。
 木津の相楽(さがなか)に自分のスタジオを持っていて若い女性、男性、ほどほどに歳をとった女性や男性を相手にヨーガ教室を開いている。オープンして間もないから、まだまだ空きはございますとのことである。ぜひ、ぜひ、どうぞ。
 (効きまっせ、ほんま)


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  あずさ師は(森島さんのことである)大学を卒業して間もなく海外に雄飛されたのである。
 親子関係に問題があったのか、失恋したのか、そういった人間関係のごちゃごちゃしたようなことではなく、日本の狭さと因習のしめり具合と、政治の腐敗と未来への展望の薄さが気に入らなかったのかどうか、記者は勝手に思いを巡らすのだが、とにかく彼女は日本を飛び出したわけだった。
 大学を卒業した翌月にはオーストラリアの大地に立っていた。
 「すっごく海外へ行きたかったんですよね。英語の勉強も少しはやってたし、後は実践あるのみってことで飛行機に飛び乗りました」。
 ひとりで?
 「ええ、ひとりです」。
 昭和三十年生まれの記者はついそんなことをたずねてしまうのだが、昭和五十年代後半に生まれたあずさ師はこともなげにそう答えた。
 「なんか環境を変えたいって思いが強かったんですよね。いつもなんだか自分に満足できなくて。なにか特別なことをしたい、特別な存在になりたい、そんなふうに評価をしてもらいたいって思ってて。海外に行けば自分を変えられるんじゃないか、それで飛び出したんです」。
 (うーむ、けっこーシリアスやないの)
 若い女性にありがちな海外へのたんなる憧れみたいなものかと思っていたが、そういう軽いものではなかったようだ。自分探しと言ってしまえば陳腐だが、新たなる環境と未だ会ったことのない人々の中で、どんな自分が生まれてくるのか、それを試してみたい。そういうことだったのかもしれない。
 二年ほどオーストラリアに居て、でもそろそろ日本に帰るかと思いかけていた頃、友人にバリ島へサーフィンに行こうと誘われた。そしてこの島に魅了されてしまうことになる。
 この島にずっと居たい。そうは思っても滞在費はすぐに底をついてしまった。
 「それでバリ島のホテルで働くことにしたんです。結婚式のコーディネーターを二年ほどやりました。別のホテルに移ってフロント係も。けっこう面白かったですよ。充実してました」。
 でも三年でホテルでの仕事にはけりをつけようとも思っていたそうだ。独立への願望が彼女の心の中で沸々と湯気を上げはじめていたからだった。
 「バリ島でいろんな人たちに出会いました。その中に個人でビジネスをしている人たちがいたんです。歳はそんなに違わないのに、自分で洋服のデザインをしてバリ島や日本各地をオンラインで結んでその洋服を売っている女性や、現地で家具を買い付けて販売しているオランダ人とか。そんな人を見ているうちに、私のしたいことってこういうことなのかなと思ったんです」。
 何かの組織に所属して、よろしくそれなりの人生を送るより、われ一人両の足で立って運命を切り開いて生きていきたいと思われたのですね。そう厳かに申し上げると、あずさ師は例の満面の笑顔を浮かべて「そんなんでもなかったですけどねー」と言った。
 (へぇ、へぇ、そーでっか)

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 独立自営への思いは沸々と胸の内に沸き上がっているのだが、それがなんなのか、どういうことなのか掴めぬままの日々が続いていたある日、友人があるヨーガの会に誘ってくれた。そこであずさ師は、バリ島在住のひとりの日本人女性と出会うことになる。
 「その人が私のヨーガの師匠になる方だったんです」。
 (おお、なんと劇的な・・・)
 あずさ師のお師匠はヨーガの実践者として、またヨーガに基づいた身体的精神的なトレーニングや、ミュージシャンや整体施術師など異分野の人との交流を通じて、より深くヨーガの世界を追求し、人々に伝えようとする活動を主宰しているらしい。
 その師匠のことを語りはじめるとあずさ師の目は5%ほど大きくなり、声も3デシベル、身体も数センチほど大きくなった。
 身体的な技法としてのヨーガだけではなくて、その奥に広がる精神的なというか哲学的なというかスピリチュアルなものというか、つまりそういったものに触れることによってあずさ師の人生の帆は大きくふくらむことになる。
 そんなふうに言うと、あずさ師は「へえーそうなんですねえ」とまるで人ごとのような顔をしてまた満面の笑顔を浮かべるのだった。「うまいこと言いますよねえ」とのたまう。
 (うーむ、なんか、うまくとらまえられない・・・) 
 「お前の人生ってメイソウしてるよなって父親に言われたことがあるんです」。
 困った顔をしている記者の顔を見て何かを連想したのかもしれないが、あずさ師がそう言った。
 メイソウ・・、瞑想・・、もしかして迷走?
 「そう迷走。うまいこと言うなあって、その時思いました。そうか私の人生って迷走してるのかってね。ふーん、そうかあ・・・」。
 あずさ師の顔が少しだけもの思いの方向に流れかけて、すぐにまたあの満面の笑顔を取り戻した。
 迷いながらも、突っ走っている自分が好き。
 そういうことなんだろうとこちらは勝手に納得することにした。
 (さて、さて、それでいいのやら・・・)

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