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ひと・人・ヒト 畑山庫一

rune10



空の下での仕事

畑山庫一さん

fleur

  かつて仕事に行くということは空の下に出ていくことだった。
狩猟がそうだったし、木の実などの採集などというのもそうだった。農業も放牧も漁も、全て空の下で行われてきた。
人は何千年もの間、空の下で汗を流してきた。
だが仕事の形はまるで変ってしまった。 今では空調の効いた部屋の中で、蛍光灯の光を浴びながら人は黙々と働いている。
季節は相変わらずかわっていくけれど、自分の着ている服くらいにしか季節を感じることはない。
暑さも寒さも避けるべきものとされ、風に吹かれることも、陽の光に目をも細めることもなくなった。
働くということはそういうことなのだと、当たり前のように思っていた。


「うちの仕事はねえ基本的にアウトドアなんですよ。暑い時も寒い時も、風の吹く日も雨の日も外でする仕事なんです」
警備会社ケーウインズの代表取締役である畑山庫一さんがそう言った。
はあ・・・?うーん、ま、確かにそうではあるけれど・・・。
こちらは畑山さんの言葉の意味を図りかねていた。だがそれから色々と話をうかがううちに、はたと思い当たることがあった。それが冒頭の文章になった。
「気持ちいいですよ」
畑山さんはそう重ねた。暑い時には暑い時なりの、寒い時にもそれなりの過ごし方がある。それ以上に季節の移り変わりを感じることができる。陽の光に目を細め、星のきらめきに目をみはることがある。
空という大自然のもとで風を感じながら仕事をするというのは、とても気持ちのいいことなのだと、畑山さんはそう言うのだった。
警備の仕事ってなんか大変そうな仕事だなあと最初は思っていた。
縁の下の力持ち。黙々と人々の安全と安心を守る仕事。あまりかえりみられることもなく、目立たず、街の点景のような人たち。
だが畑山さんの言葉で印象はがらりと変わった。
何年か前までは助っ人を頼まれると現場にも出ていた社長の実感が言葉に出ていた。
暑い時には汗を流し、寒い時にはぶるぶる震え、涼しい時にはニコニコ笑って、それでいて街の人々の安全を確保し、安心な生活に貢献する。
とっても遣り甲斐があり同時に働く喜びを感じることができるんだよ、君。
そう言われているような気がした。
現代の仕事のあり様を批判し、おとしめて、自らを高みに置こうとしているわけではない。
ありのままを語っているだけだ。ただその言葉の中に誇りのようなものが感じられた。それに仕事って本来そういうものじゃなかったですかね、という問いがあるようにも思えた。


畑山さんはどうも外にいるのが好きなようだ。
警備の仕事にも忙しい時期とそうでない時がある。暇なときに事務所で手持ち無沙汰にしているのもどうもなあと考えて、草刈りの仕事をしてもらうようにした。
時期的に警備の暇な時と草が繁茂する時がほぼ同じ時期だったので考え出した工夫だったそうだ。
畑山さんが一人乗りの草刈り機に乗って草を刈る映像がYouTubeに記録されている。
見るとその姿はまるでおもちゃの電動自動車を与えられた五歳の子供みたいで、とてもはしゃいでいるのだ。こちらも乗りたくなった。これが仕事なら、とてもイイ!と声を上げそうになる。
外にいるのが大好きな畑山さんのいま一つの仕事は農業。畑山農園という。
野菜を中心に栽培している。できるだけ農薬を使わないようにして、有機肥料を中心に行っている。
とれたての万願寺唐辛子としし唐を頂いて帰ったが、しし唐には腰があって包丁を入れたときにスパッスパッと切れて小気味よかった。しし唐ってこんなにハリがあったけと思わされた。食感もこりこりして、こんなしし唐は食べたことがなかった。
そして何よりも万願寺唐辛子だ。軽く油で炒めて食べたのだが、香りが立ち、甘みがあって食感もシャキシャキしていて絶品。野菜がこんなに美味いものだとは思ってもみなかった。脱帽ものだった。


畑山さんの笑顔はとてもいい。
空の下で働いているからそうなるのかと思いかけたが、社長業だから四六時中外にいるわけにもいかない。事業計画や社員の登用、人材の募集や経理の細々に対する目配り、そういった煩瑣な事務仕事も一杯だろう。
「昔はね、しかめ面ばかりしてたんですよ」
25歳の時に立ち上げた会社を五年ほどでつぶしてしまったことがあるんですと畑山さんが言った。大金を借りて大きな社屋を建てた。その姿を眺めながら、やったねと思ったことだろう。
だが借りたものは返さなければならない。最初は順調だったが、次第に月々の返済が滞りがちになり、ついには金が底をついた。
若くして空に駆け上った登り竜は、暗雲の中に取り込まれ雷に撃たれて地面に叩きつけられた。
先輩がいた。地面で蠢く、もうすでに小さくなって蛇かと見まがうような生き物に声を掛けた。
「人の二倍働いても追いつかんな。三倍、いやもっともっと働いて禊をするんや」
その人の紹介である飲食店で働くことになった。その間四年と二か月。一日十五時間働きづめで、休みは二日ほどとったかなあと畑山さんが言う。休んでなどいられないという思いが、彼を追い立てたのかもしれない。それでも四年と二か月でたったの二日!!
畑山さんは懐かしそうに微笑んでいる。


少しばかり歳をとり、それ以上に後悔と情けなさと、人間のマイナスな感情のあらゆる荷物を背負いながら、それでも畑山さんは諦めることなくもう一度空の高みを目指した。
てっぺんはまだまだ先なのだろうけれど、上昇を続ける男にしかめ面はもう必要ない。

fleur

 

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