ひと・人・ヒト 井尻祥子
いつまでたっても学ぶことばかりなんですよ、この仕事って。
井尻祥子さん
(有)ナイスケアサポート 代表取締役
奈良市中山町1324−1
0742 (52) 6399
http://www.nicecare-support.com/
眼差しについて考えている。
いや、その眼差しを感じている。
それは静かであり透明で深く、包み込むようでいて虚飾の尻尾は見逃さない凛々しさを秘めている。
そんな眼差しを向けながら井尻祥子さんはこんなことを語りだした。
「一般の仕事でも商売でも「ありがとう」という言葉のやり取りはありますよね。でもこの私たちの仕事ほど心から「ありがとう」って言われる職業はないんじゃないかなあと思うんです」。
井尻さんは高齢者のための介護施設ナイスケアサポートを運営する責任者だ。
86歳になる記者の義理の母もこちらにお世話になっている。
「こちらがかけた何気ない一言に、後であの言葉が私を救ってくれましたって手を取らんばかりに感謝されたりするんです。驚いてしまうんですけど、それだけ追いつめられていたんでしょうね。困ってらっしゃったんですよ。私たちのひとつの言葉、ひとつの行為がものすごく大きな力を持つんだって思い知らされます。相手の方の状態が困ったものであればあるほど、私たちの言葉や振る舞いが何十倍にもなって届くことがある。介護という仕事は奥が深いなあと、そんな時つくづく思うんですよ」。
井尻さんの眼差しが少し微笑んでいた。
「でもね・・・」。
言葉が空中で静止した。視線は落とされていた。
「そうやってお互いの信頼感が育まれていくことはとてもいいことなんですけど、そのことが思いがけない心のエアポケットを作ってしまうことがあるんですよ」。
井尻さんがそう言った。
意外だった。これから高齢化社会へ向けて介護というものの意義づけや高邁な思想、それにはるか彼方を見通すような理想を美しい言葉で語られるのではないかと、こちらは勝手に思い込んでいたのだが、彼女の口から出た言葉は、そういうのとはまるで違っていた。
「どんなに気をつけていてもミスってどうしても起こりますよね。ちょっと目を離した隙に転んでしまわれるとか、うまいタイミングで声掛けができなかったとか、そんなことです。大事には至らないようなミスなんですけど、それでもミスはミスです。ですからもちろん謝るんですけど、それがすぐに許されてしまうんです」。
許されてしまう・・・?
「ええ、許されてしまうんです。「ええよ、ええよ、そんなこと気にせんでええよ」。そう言ってくれるんです。こちらのことを十分に信頼してくださっているからこそ、そんなふうに言ってくださるんだと思うんですけど、その言葉に自分たちが寄りかかってしまっているように感じることがあるんです」。
ダメなものはダメと人から言われたり、自分で自覚することで人はちょっとずつ学んでいくことができる。ミスは誰でも犯す。だけどそのミスを通して、同じ過ちは繰り返さないという反省と決心が、次の確実な一歩を形づくっていく一助になったりするわけだ。
「でも、いいの、いいのって許されてしまうと、つい自分でもいいのかなって思ってしまう。自分で自分を許してしまうんです。ま、いいかってことなんでしょうかねえ。そんなことを何回か繰り返しているうちに、自分の仕事に対する取り組み方に緩みが出てしまったりすることがあるんです」。
そんなことを取材者に語ってしまっていいんですかと、こちらは気になって問い返す。
「いいんです。この仕事のそこが問題だと思ってるんです。感謝されることの多い職種なんだと思いますけど、それらの言葉を受け取るこちらの側がしっかりした目と耳と心を持っていないと、思いがけない事態を招いてしまう。その自覚がとても必要だと思うんです」。
これでいいのかと常に問い、こうなんじゃないか、ああなんじゃないかと答えながら、じゃあどうんなふうにやればいいと更に問い返し、うーん、うーん、うーんと答えを探り、突破口を捜す毎日を送ってきた人のように思えてきた。
看護師として25年間、そのうち13年間は在宅医療にも関わった。様々な人の終焉の時に立ち会ったことだろう。積み上げた経験値は、現実の様々な局面に対して射るような視線を彼女にもたらし、見たくないものもまざまざと視界の中に映し出した。個人の倫理と、組織の論理がすれ違いはじめる。そんなことがあったのだろうと勝手に想像するのだが、井尻さんは47歳の時に白衣を脱いで、現在の組織の最初のかたちを立ち上げた。
高齢者を介護するという仕事と、施設を建て設備を整え、スタッフをマネージするという事業主としての仕事と、ひとつでも大変なのにふたつを同時にこなしていて、それであんなふうな静かな眼差しでいられるというのはどういうことだろうと思う。
苦労は人を鋭い剣で切り刻み、眼差しをきついものに変えてしまう。だが苦労を苦労とも思わぬ強靭な精神は、自身をまあるく、まあるく削りだしていくのかもしれない。
介護される親を持ち、いずれは介護される側になる記者には、井尻さんが自ら指摘する介護の現場の問題にすごく関心がある。介護の未来に暗い影がさせば、人はデッドエンドに乗り上げてカラカラと空回りするしかないだろう。
「まだ若かった頃の話なんですけどね・・・」。
井尻さんがそう言った。
介護の現場の様々な重圧や人と人との軋轢、自分自身の力の限界や不甲斐なさに打ちひしがれていた。でもそんなことはおくびにも出さず、自分ではいつものように明るく振る舞っているつもりだった。
「でも何かを感じられたんでしょうね、トイレの介助をさせてもらっていたあるご高齢の女性が「あなたね、色々あるでしょうけど、頑張りなさいね」そう言ってそっと抱きしめてくれたんですよ。私、その場で大泣きに泣きました、ええ・・・」。
遠い目をして井尻さんはそう言った。
そのことが大きな糧になっている。もらい泣きしそうになりながら記者はそんなことを思っていた。
ケアする人は、ケアされる人にケアされている。
ふと言葉が浮かんだ。もしそうなのだとしたら介護の現場というのは、人が人に関わる、ある意味で究極の場なのだということだろう。優しさとか思いやりとか、寄り添う心とか、言葉はいかにもマイルドではあるけれど、その実、心と心がともにスパークする現場なのだ。
そうなのに、とまた記者は思う。
そうなのになぜ井尻さんの眼差しは、あんなふうに静かであるのだろうと。