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特集:鹿背山の人 水島石根

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お山のてっぺんにそのアトリエはあった。
彫刻家 水島石根 (みずしまいわね)

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自分の想像の範囲の中に納まってしまうものなんか、ちっとも面白くない。お里が知れて興ざめも甚だしい。
得体の知れぬものこそ、そう、どんなふうに回路が繋がればこんなものが出来上がるのかと思うようなものこそが面白い。興奮する。
だが一方で自分の身の内の奥底の方にあるらしい核とも琴線ともいうべきものを震わせるものがある。
出逢ったことも、すれ違ったこともないはずなのに、
なぜか懐かしい。
やあと、つい親しげに挨拶したくなる。
ほろほろと顔がほころんで、そっと触りたくなる。うれしい、実にうれしくなる。
アートとか芸術とか、そういったことについてのお話である。
門外漢が何を小癪なと思われるかもしれない。ご免ね。でもまあ、しばらく。

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鹿背山のアトリエで水島石根さんにお会いした。
すごい芸術家なのだという人がいた。
鄙にはまれな文化人なのだとも聞かされた。
心せよ、心せよと彼らは焚き付けるのだ。
喉をごくりと鳴らして前に進み出た。
恐る恐る眼をあげると、石根さんのほころんだ顔があった。
固まった肩のあたりから空気がぷしゅーっと抜けて、緊張が空中に放出された。


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肩書を書くとすれば彫刻家。
だが焼き物もするし、絵も描く。彫刻の方も木彫、ブロンズ、テラコッタ、それにメインの乾漆までと幅広い。
乾漆とは木の枠組みの上に粘土でおおよその形を作り、そこに薄い麻布を何枚も漆で張り付けて像を形作っていく。最後には中身の粘土を全て掻きだす。つまり像の中身は空っぽになる。だからすごく軽い。それに麻布と漆で作るので独特の優しい風合いが生まれる。像のほっぺのあたりを撫でたくなる。指で押すとふにゅと柔らかくへこみそうな気がする。
いいなあ。
石根さんが中座されたとき、アトリエの彫像を眺めながらつい触りたくなって困った

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何かを創りだすということは、自己顕示の傾きを色濃くもつはずだと思うのに、そこにあるのは、そういうものとは無縁なもののように見えた。まるで無造作にとでもいうような、もう作者の人影さえ消えて、ぽんとそこにある。
芸術だとか作品だとかという言葉は失せて、なにかとても懐かしいものに触れたような気がした。
戻ってこられた石根さんがアトリエの大きな扉をがらがらと開けた。向こうに山が見えた。空が見えた。街も見えた。心地よい風が吹き込んできた。


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アトリエの庭にも作品があちらこちらに置かれてある。
太陽を浴びて、風に吹かれ、雨ざらしのまま、奥さんが丹精されている花たちと一緒にいる。
まるで繁茂する植物のように土からにょきにょきと生えてきたようなのがある。掘り返されたばかりで日の光にうろたえているようなのもある。傍らには草葉の陰に隠れるようにして、もうそろそろ土に帰ろうかと思案していたり、遺跡のようにどっしりと大昔からここにいるのさと威張っているのもいる。

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花も木も蜘蛛も乾漆もブロンズも焼き物も、みな等しくそれぞれの場所にあった。
飾られているんじゃない。共生しているんだ。
そんなとりとめもないことを思う。
高く透き通った秋の陽射しの中で、こうも思った。
このアトリエそのものが、鹿背山の空の下にずんと根をはる大きな樹なんじゃないのかと。
いいなあ、ここは。ほんとに。

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