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日本画家 岸本志津

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今日、美しいものに出会った。
日本画家 岸本志津
(奈良市三碓)

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花を描いた絵を見ているはずだった。
その花が、おぼろになった。
まるであわあわと背景世界に溶け込んでいくような、
いやそうではなくて、今まさにそこから浮かび上がろうとするような、そんな感覚にとらわれた。
老眼が進んでいる。眼鏡をはずし汚れを拭って、眼を二三度ぱちぱちさせた。それから上下左右に動かしてもう一度見てみた。
こちらの眼のせいではなかった。そういう絵なのだと思った。

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「岩絵具のガラス質のきらきらする感じにすごく魅かれました」
この絵の作者である岸本志津さんがそう言った。
小学校に上がる前のことだった。
幼い心を捉えた岩絵具は、鉱物を微細に砕いて作られる。
その鉱物の細かな粒子の断面が光を反射してきらきらと光る、その感じに魅かれたのだという。
そしてこういう絵を描きたいと思った。
成長して京都市立芸大に進み、日本画の基礎を学んだ。

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母上が大病され、その看病を続ける日々の中で出会った一冊の本がある。
生命科学を研究する柳澤桂子氏が現代語訳した般若心経の本。「生きて死ぬ智慧」というタイトルだった。
「色即是空」「空即是色」。
かたちあるが故にかたちなく、かたちなきが故にかたちはある。この宇宙は粒子に満ちていて、その粒子が流動し、寄り添い離れ、また繋がりながらつくる濃淡が、ある一瞬かたちとして現れる。
そのようなことの幾重もの連なりがこの世界なのだということらしい。
分かったような、分からぬような。分からぬようで、どこか分かるような。
「わたし、その本にすごく影響されたような気がします」と岸本さんが言った。
どんなふうにとたずねてみた。こんなふうにとは答えなかった。
言葉を巧みに操る人ではなかった。
絵筆でその答えを探し続けている人だった。

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花を描いた絵を見ているはずだった。
だがいつしか花は花であることをやめて、
またなにかに生まれ変わるべく細やかな粒子となって
ゆっくりと旋回をはじめた。

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