ひと・人・ヒト 中 順彦
ボクは 「髪を切るのが得意なオッサン」 です。 (へっ・・・・?)
中 順彦(なか よりひこ)さん
美容室 VITHEO (ヴィセオ) BOSS
京都府宇治市大久保町北ノ山101−13 星野ビル2F
0774-45-0877
vitheo.com
人は鏡の中に映る自分しか知らない。
「私」はこちら側にいて、こんなふうに思い、あんなことに悩んで、あの人のつれなさに傷ついているのに、鏡の中の自分はそんなことにはお構いなしな顔をして「私」を見返している。
なんだかチューニングがずれている。画像に時おりノイズが混じる。そんなことを感じたときに人は髪を切りたくなるのかもしれない。
美容室を営む中順彦さんは鏡の前に座るお客さんと会話を交わしながら、彼女や彼の心の中にある言葉にならない思いや、髪型のオーダーの中に見え隠れする本当のところを探りながらハサミを使う。
「お天気の話とか世間話とかもしますけど、そういう何気ない話をしながらお客さんとの距離を徐々に近づけていくんです。そのうちに会話がほぐれてきて、お客さんの方から色々と話してくださるようになる。その言葉の端々に時おり真意みたいなものが見えたりするんですね。そこがすごく大切なんだと思います」。
そう語る中さんの言葉の中に「せめぎあい」という言葉があった。美容室というおしゃれな空間には似合わない言葉のように思えた。そこでは美しさへの賛辞とか、ご機嫌を取り結ぶ羽の生えた言葉が舞っているのかと思っていた。
そう言うと中さんは苦笑いを浮かべた。
「そういうお店もあるんでしょうね。でもうちではないなあ。そんな話をしていても気に入ってもらえるヘアに仕上げられませんからね。
髪が伸びたから切りに来たってわけじゃないんだと思うんですよ。いまの自分に対するちょっとした違和感とか、新たな一歩を踏み出すきっかけにしたいとか、いろんな理由があるんじゃないかな。
喜んでもらえる仕上がりにするためには、お客さんのそんな心のうちを知る必要があると思ってます。聞かれたくないし、言いたくないことだってあると思うんです。だけどそこをスルーしてしまうと、いいものにはならない。だから時間をかけて進めていきます。
それにこちらからも言うべきことは言うようにしてます。聞きかじった情報で髪型をオーダーする方や、自分の感覚だけでものを言ってくる方もあるんで、そこのところは本当はこうですよって言いますね。もちろんお客様あっての仕事ですから失礼になるようなことは避けますけどね」。
なるほど、それで「せめぎあい」か。
中さんの言葉を聞いていると髪を切るという行為は、こちらからお客さんへの一方的なサービスの流れではなくて、髪を切る人と切られる人の共同作業のようなものであるように思えてくる。
「そうだと思うんですよ、そうあるべきだって。そこでピタッと波長が合えば長くお付き合い頂けますし、駄目な場合はよそに行かれる。仕方ないですよね、それは」。
そんなことを考えているから、一向にお金は集まってきませんけどね。そう言って中さんは自嘲の笑みを浮かべた。けれどその目はけして自分自身を嘲ってなどいなかった。
「髪にお金をかけさせないのが本当の仕事だって思うんですよ」。
またもや妙なことを言いだした。ちょっと待った。髪にお金をかけてもらってなんぼのもんじゃないんですか。
「うーん、違うなあ。そうじゃないと思うんです。お金を儲けようとするなら一番簡単な方法は来店サイクルを上げればいいんです。お客さんのオーダー通りに髪を切って、その時は満足して帰ってもらう。でも一週間後、一か月後には髪型が崩れてしまうなんてことがあるんです。後ろ毛がカールしたり、雑に切った毛が嫌な感じに伸びてきてしまったりね」。
そういうことを意図的にする店もあるってことですかと記者は尋ねる。中さんは頷くでもなくじっと記者を見返している。
「髪を切るときには未来を予測していないと駄目なんですよ」。
記者の問いには答えずに中さんはそう言った。
「いま切っている髪は一週間後にどうなる、一か月後には、そして二か月後にはどんなふうになるってことを読みながら切る必要があると思ってます。「未完成を切る」っていうふうに自分では言ってるんですけどね」。
未完成を切る・・・。
(なんじゃ、そりゃ?)
「髪を切ったその時はまだ未完成な状態なんですよ。ちょっとずつ髪が伸びていって完成していく。でもお客さんとの間でそのあたりのコンセンサスがないと、クレームの原因になってしまいますよね」。
だからこそ髪を切る人と切られる人との間の密なコミュニケーションが必要なのだし、だからこそ共同の作業なのだということであるらしい。
サロンな雰囲気の中で、ほろほろと笑いさざめきながらチョキチョキと仕事が進んでいくのかと思いきや、ここVITHEOではけっこう熱い「せめぎあい」が繰り広げられているようなのだ。
中さんにこの記事での肩書紹介をどうするか尋ねてみた。Hair DesignerとかHair Make Artistとかフランス語的なのとか、あるいはそんなエエカッコはやめて普通に美容師とするのかと。すると意外な答えが返ってきた。
「お客さんに尋ねられた時にも答えてるんですけど、僕の肩書は「髪を切るのが得意なオッサン」ですって言ってるんです」。
(へっ・・・・?)
記者は言葉をしばし失っている。あっ、いかん。頬を叩いて喝を入れる。
なんです、それ・・・。
「美容師の師って、師匠とか先生とかの意味で、その道のマスタークラスってことだと思うんですけど、そんな偉いさんでもないですし、Hair Designerなんてあちらの言葉もなんだかなあ思うんですよね。それで俺の仕事って何やろうと考えたときに思いついたのが「髪を切るのが得意なオッサン」ってやつだったんです。そのまんまなんですけど、けっこう気に入ってるんですよ。髪切るのすっごく得意ですから」。
映画関係者が自分たちのことを未だに活動屋と呼んだり、小説家が自分のことを作家とはせずに、もの書きとしたりするのに似ていなくもない。
世の中の人が思うほどに自分たちの職業は上等なものではない。けれど自分たちの仕事に対する見識は深く、矜持は人一倍強い。
エエカッコの肩書をつけても、肩書が仕事をしてくれるわけじゃない。
そういうことを無言に伝えている、そんな感じがする。つまりは自分の仕事に対してすっごいこだわりがあるってことだ。
「それに美容師ってことにすると、なんか永久に美容院経営って枠組みから出られないような気がするんです。そんなん嫌やなあって思うんですよね」。
というと多角経営に乗り出そうと考えているってことですか。
「いえ、そういうことじゃなくて、人と人との密な関係の中で仕事をしたいということで今は美容院をやってますが、もっと他にもいろんな方法で人と関わっていけるんやないかと思う時があるもんですから。だから自分の枠をへんに決めなくてもいいのかなあって、まだね」。
そう言うと中さんは髪を切り終えたお客さんが帰るのを見送りに席を立っていった。「ありがとう」という嬉しそうな声がその向こうから聞こえてきた。
鏡に映る自分が少しずつ変化をとげていく。それは薄い皮に絡みとられていた自分自身がゆっくりと脱皮していく過程のようにも見える。あまりに変化が激しいと戸惑うばかりだろうし、さほどでなければ不満が残る。
鏡に映る自分と、ここにある「私」とがきれいに重なり合ったとき、心の中に喜びが生まれ、「私」は席を立って日盛りの中に出ていくのだ。さっきとは少し違う自分になって。ちょっとだけ自信ありげに。
中順彦さんの仕事とは、そういう仕事のようだ。