TOP特別連載企画蕎麦人のこころ

蕎麦人のこころ

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蕎麦人のこころ
第三回

narayama

蕎麦を食べる作法なんて言い出すと、蕎麦の敷居がどんどん高くなる。
だからといって、蕎麦もうどんも同じじゃんと勘違いすると、せっかくの蕎麦の美味しさが台無しになってしまう。
かつて蕎麦人のことを記事にしたとき、蕎麦は舌そのものよりも、その上を転がる言葉が少しだけ優位な世界であるというようなことを書いた。
ところが蕎麦人横山さんを取材したり蕎麦をすする合間の会話を通して、それはどうやら違うようだと知ることになる。
蕎麦通が爪先立ってツツツとやって来て、蕎麦屋の主人と甲高い声で言葉の合戦を繰り広げているのではないかというのは、
まったくの記者の偏見と妄想であるということがわかった。
そう、皆さん至って普通に蕎麦を食していらっしゃるのである。
多くの人にとって、そんなの当たり前でしょという類のことなのだろうが、
穴に籠もって世間を斜め見していた記者には、ああそうなんだあと改めて納得したような次第だった。
だから何も肩肘張って蕎麦を食すこともないという話だ。
とはいえ、蕎麦を食べるとき、さらに言えば、美味しく頂きたいというのなら知っておいたほうがいいこともある。
今回はそういうことについて横山さんに聞いてみた。

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蕎麦は本来、麺状にするには適さない素材のようである。
うどんやスパゲティなどの小麦由来のものは、素材そのものが持っているグルテンという成分が粘り気を作り出し、
打って伸ばして細長く仕上げていっても簡単に切れるようなことはなく、それに空気に触れても熱湯の中に浸けても、そうすぐに伸びてしまうようなこともない。
ま、扱いやすい素材だということですな。
ひるがえって蕎麦の方。
グルテンという隣同士が手に手を取って、引き伸ばされようが細くされようが、びよーんと変形しながらでも繋がり続けようという健気な成分が蕎麦にはないから、簡単に切れてしまう。言葉は悪いけれど、無理やりにあのような麺状にしている極めてデリケートな食材のようなのである。となれば調理するにも神経を使うし、食べるにもそれなりの心得がどうしても必要になる。
まず蕎麦は空気に触れると、それだけで形が変わりはじめる。
だから蕎麦は手早く仕上げて、出されたらさっさと食べはじめなければいけない。
さあ食べようという時に、携帯電話が鳴って番号を見ればお得意様。昼食時も仕事かよと舌打ちをするも出ないわけにもいかず、店の中で話しはじめれば他のお客に迷惑と外に出る。すぐに戻るつもりが話が込み入ってきて、十分ほどがあっと言う間だ。
戻ってみればざるの上にのっかっているのはもう蕎麦ではない。蕎麦のミイラみたいなものだ。
食べたければ食べてもいいが、蕎麦の香りも味もとっくに消えている。
映画館やコンサート会場、それに電車の中などで携帯電話を切ってくださいとアナウンスされる。
蕎麦屋でもそれは言えていて、ほんのしばらくの間でいいから社会との連絡窓口を閉じて、蕎麦とのランデブーを楽しんだほうがいい。蕎麦を食べた後なら幸せな気分になっていて、お得意先の無理難題にも鷹揚にお応えすることもできるというものだ。

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それともうひとつ。
蕎麦は熱湯が大の苦手なのだそうだ。
つまりうどんのように熱い汁に浸かっていると、たちまちに熱死してしまうのだと。伸びてしまうんですな。
口にすると、何と言うかもしゃもしゃくたくたして、とてもよろしくない食感になる。
あのきりりとエッジの立った蕎麦人の男前な蕎麦が、腑抜けになってしまうのです。
これはいけない。とてもいけない。
やはり蕎麦は冷えた状態で食べるものだと横山さんは言う。
え?そやけどね、と疑問が頭の中に浮かぶ。
幼少のみぎり、蕎麦というものに初めて出会ったとき、それは熱い汁の中に浸かっていた。
以来蕎麦と言えばどんぶりの中の熱い汁の中に入っているものだというのが日本の常識のように思って生きてきたわけなのだ。熱い汁をふうふうしながら蕎麦を頂いてきたけれど、もしゃもしゃくたくたしたような蕎麦に出会ったことは、まずなかった。
その辺ってどうなのよ、というふうな表情が記者の顔に浮かんだのかもしれない。
きらんと横山さんの目の奥で鋭く光るものがあり、あの急降下爆撃機のような言葉が降りかかってきた。
「そういうものには、だいぶ小麦粉が混ざっているんですよ。グルテンで蕎麦を繋ぎとめてるんです。関西はうどん文化圏なんで、だから蕎麦もうどんみたいにして食べたいという思いがある。それで熱い汁に浸けてもすぐには伸びないようにグルテンを配合しているってわけです」
ということは、今までこれが蕎麦だと思っていたのは、蕎麦とうどんとの合成品だと言うことですか?
「蕎麦の割合が八割を切ったら、もう蕎麦の香りはしなくなりますね」
いやいやそうではなくて、今まで蕎麦を食べているつもりが、実は蕎麦のようなもの、蕎麦もどきを食べていたということなんですか?
蕎麦人の大きな窓の、その向こうの暮れていこうとする空を眺めたまま横山さんは何も語らなかった。
多くを語らずということなのだろう。誹謗中傷は男子たるもののとるべき道ではない。
うーむ。

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これからは記者の勝手な思い。
蕎麦のもどきを基準にして、真正な蕎麦を判断してしまうのはやはりよろしくない。
そのようである。深く反省。
蕎麦は元来熱湯にすこぶる弱い。だから蕎麦はざるで食べるのが本来の姿なのだ。
「けっ、蕎麦はざると決まってらあな」と俄か江戸っ子気取りで啖呵を切るつもりもないけれど、どうもそいうものらしい。
だが関西うどん文化圏に棲息する者としては、どんぶりに入った蕎麦も捨てがたい。
それに寒い日ならば、やはりふうふうしながら蕎麦をすすりたいしね。
だから蕎麦人では、そういう人たちのためにいわゆる汁蕎麦系もちゃんと用意してある。
ただざるの蕎麦とは成分が少し異なっている。熱湯に強い体質のにしているのだそうだ。
どのような成分なのかはマル秘、企業秘密、産業スパイお断りで聞きだすことはできなかったが、
蕎麦の香りが飛んでしまうようなものは出していませんと付け加えた。
食べてみたけれど、美味。食感もいい。ざる系とは違った美味しさと楽しさがある。
蕎麦はざるでないといけないというのもそれなりに面白いけれど、
あまりガチガチに凝り固まりはじめると窮屈になる。

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窮屈さの中でピンポイントの極みを見つけたいという人は、どうぞご随意にと言うしかないが、我ら一般ピープルは少しゆるい目がやはりいいようだ。
まあそれはそれとして、横山さんの話を聞いていると、
美味しいものを、美味しく頂くということは、作る側と食べる側との共同作業なのだということに思い至る。
食べる側もテーブルについて、ただ唾液をじわっとにじませるだけでなく、それなりの知識と作法を心得ていれば、料理人が心を砕いたその逸品を味わいつくすことができる。
どうせお金を出すのなら、そんな一期一会をゆったりと楽しんだほうがいいのではないだろうか。

第四回へつづく

取材先石臼挽き手打ちそば 蕎麦人
営業時間平日11:00〜14:00   土日祝に限り17:00〜19:00も営業 
定休日水曜日
住所京都府相楽郡精華町光台4-45-10(地図
電話番号0774-94-5332
ホームページhttp://www.sobajin.co.jp/
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