ひと・人・ヒト 杉本雅之
きらきらした人生ですなあ。
一級宝飾技能士 杉本雅之さん
090-3653-0788
ジュエリー。宝石・貴金属の類。指輪とかネックレスとかペンダントなどのこと。
女にとっては垂涎の的であり、男にとっては悩みの種でもある。
そういったものを作るのが杉本雅之さんの仕事である。
七十歳を少し過ぎた今でも現役選手なのである。
「一級宝飾技能士」。
貰った名刺にはそう書いてある。一級というからにはトップオブザトップということなのであろう。
そう尋ねると、杉本さんはおごそかにうなづかれた。
さらにその名刺には自分の名前より大きく「杉本工芸85年」と書かれてある。
杉本さんは七十歳を少しだけ過ぎたあたり、すると前世よりこの仕事をされていたのですかという問いに、なにを馬鹿なというふうに流し目をくれて「父親の跡を継ぎましたんや」と言った。
ああ、それで・・・。こちらもおごそかにうなづき返した。
一人の兄と一人の姉と、そして一番下が杉本雅之さんで、小さなころから父親の仕事を楽しそうに眺めている少年だった。
「十七歳の時に丁稚奉公に行きましたんや」と杉本さんが言った。
丁稚ですか?
最近とみに聞かなくなった単語が出てきたので聞き返した。
無給で無休で住み込みで、床拭きとか食器洗いとか便所掃除とか、そんな雑役ばかりの合間に宝飾技能士としての技を学んでいく。
「誰も手取り足取り教えてなんかくれません。盗むんですわ技を、この両目でね」。
技は盗むもの。そんな話をテレビで訳知り顔のおじさんが語っていたり、雑誌や書籍で呼んだことはあるけれど、目の前の生身の人から直に聞くと、妙に感動してしまったりするのだった。
盗むんですかあ。
そ、盗むんです。
ほぉー。
よほど盗むのが上手だったのか、本来なら五年はかかるところを四年で年季が明けて、親方の紹介で宝飾関係の問屋さんに職人さんとして勤めはじめたそうである。
そうこうするうちに杉本さんの身にバブルのビッグウェーブがやって来たのだった。
「儲かりましたなあー」。
杉本さんは細い目系の目をさらに細めて、ため息のような声で言うのだった。
その頃、職人を六人、事務員一人を雇う宝飾工房の主になっていた。
今日も千本、明日も千本、明後日なんか二千本。
なにか鋳型のようなものを作ってそこに金属を流し込んで、冷えたらそれを壊して幾本もの指輪の土台を取り出す。それに宝石を取り付ければひとつ出来上がる。
そんなことを何度も繰り返すわけだ。問屋に納めた尻から次の注文が入ってきたという。
「そんな毎日でしたなあー」。
杉本さんはテノールな声で遠くを見つめながらそうつぶやく。
お大尽様ですなあとこちらが猫撫で声ですり寄っていくと、すっと身を離して「夢のまた夢ですわあー」と切り返してきた。
バブルの崩壊。寄せ波に大量に舞った紙幣は、引き波にさらわれてはるか彼方に消えていったという。
祭りの後には侘しさばかりが募るようで、あれほどあった注文も激減していき、ついに杉本さんの工房も解散することになる。
一人になってしまった。
さて、どうすると考えた。高価なものが大量に売れる時代は水平線の向こうに去ってしまって当分は帰ってきそうにない。
・・・だが待てよ。バブルは去ったとはいえ、女性陣のきらきらしたものに対する興味や羨望や欲望がかき消えてしまうようなことはないはずだ。
有象無象の財布の中はスカスカになったかもしれないが、それでもある所には驚くほどあるもので、
そういう方々たちを顧客にオーダーメイドで宝飾製品を作り販売していくというのはどうだろう。
わが両手は熟練の職人のそれ。
その手をさっさ、すっすと動かせばこの世にただ一つだけのジュエリーが生まれる。
ええやないの。
そう杉本さんは思ったのである。
最初の顧客を見つけ出すのは大変だったが、次第に口コミで評判が広がりだした。
製品の確かさは間違いないものだったが、それにもましてその値付けがお客を驚かせた。
「百貨店なら数百万円するものを、その三分の一の価格でお作りしますってことにしたんですわ」。
さ・ん・ぶ・ん・の・い・ち・ィー。
ジュエリーなんてものにてんで興味のないこちらも、さすがにその価格には驚かされた。
だって定価の三分の一ですよ、三分の一。
噂が瞬くうちに広がっていったのもうなづける。
「杉本さん、ええのん見つけてん。ちょっと来て」。
京都や奈良の百貨店や宝飾店でお気に入りのジュエリーを見つけたお客さんから呼び出しがかかる。
嫌な顔もせずそそくさとその店に出かけていき、お客のお気に入りを確かめる。
手に取ってその感触を確かめ、前後左右、斜め四方ためつすがめつ、脳内に仕込んだカメラで精密に写し取っていく。
ええもんやねえ、とお愛想を店員に言いながら返し、どう?と無言で問うお客さんに小さくうなづくと脱兎のごとく作業場に戻り、脳内に刻み込まれた映像をもとに制作に励むのだった。
箱根の山の向こうでは高価なものを高価なままに買える自分を誇るそうだが、文化度深きこちらの地では価値あるものをどれほど安価に手に入れたかを自慢するという習俗が定着している。
ある人が言う。「これええやろ」。
問われた人が返す。「ええやんか」。
ある人がまた言う。「これ、なんぼした思う?」。
問われた人がまた返す。「ええ?なんぼしたん」。
ある人が耳元で「ごにょごにょごにょ ・・・」。
「えーーーーーーーーーーーー」。
かくしてある人の気分は最高潮に達し、えーと大声で叫んだ人の方は早速杉本さんに電話をかけるということになる。
木津川市だけで二千人ほどの顧客がいるのだと杉本さんは微笑みながら言う。
「お陰様でこの歳になっても食うには困りません。親父の仕事が好きで、この道に入っただけですけど、腕に職を付けたおかげで定年もなく楽しんで生きていけてます。ありがたいことですわ」。
還暦をとうに過ぎて路頭に迷いつつあるこちらは、師匠ぉぉと叫んでしがみついてみたけれど、
さすがに年齢制限に引っかかって振り落とされてしまった。
だがこれを読んでいる若人諸君、君たちにはまだチャンスがある。
我こそはと思う者は、杉本工芸の門を叩きたまえ。意志あるところ道は開けるのだ。
そんなふうに書いていいですかと杉本さんに尋ねると、うーんと言って黙ってしまった。