ひと・人・ヒト 植村佳史

あのはやり病、この男、そしてその闘い
植村佳史さん

政治?
興味ないね。
それでなんか良くなったことある?
政治家?
偉ぶってるか、頭を下げているか。
どっちにしても、やりたい職業じゃないね。
無関心。
そんなふうを装うのが長年の習慣だった。
投票には必ず行くが、なぜそうするのか。
何かが変わるわけでもない。自分の取り分が増えるわけでもなく、自分の未来がちょっとでも明るくなるわけでもない。
無関心さのせめてもの罪滅ぼしのつもりでもあるのか、たいして知りもしない名前を書いて、そそくさと投票箱の穴に放り込んで行ってしまう。
そんなことを何年も繰り返してきたように思う。
だが安倍晋三という男が殺されて、何も変わらないはずの日常が少しばかり傾き始めた。
彼に任せておけばまず大丈夫だろうと高をくくっていたのに、その彼がこの世から消えて亡くなった。
長年のつけをどんと机の上に叩きつけられたような気分になった。数えてみればかなりの負債を抱えていた。
任せておけば大丈夫ではなくなった。
慌てた。
どうする・・・。
記者も参加するある集まりに、ある男がいた。実に腰が軽く、素早く動いて会場の設営をどんどん進めていく。フェイスブックにはスーツ姿の彼が色々な行事や集いに顔を出している写真がふんだんにある。政治的な集会にいるし、子供たちの交通安全を推進する運動を担っている姿もある。ワクチン禍に苦しむ人たちのそばに寄り添う姿もある。なんだか毎日どこかに出没しているふうにも思える。
その人、植村佳史、六十歳とちょっと。
県会議員だったが現在浪人中である。
その県会議員選挙の際に友人に誘われて植村さんの演説集会に行った。それが植村さんを知った初めての時だった。県会の主要な人物やお偉いさんが登壇して演説をぶち、彼もスピーチをした。そのどれにも耳をそばだてる程のものは感じなかった。
帰るとき植村さんと奥さんが会場の出口あたりに立って一人一人に握手をして送り出していた。その時に名刺の交換も行われていたが、彼の名刺は貰ったが自分のは出さなかった。面倒だったからだ。
一票を入れたが、甲斐なく植村さんは落選した。それっきり彼のことは忘れてしまっていた。
植村さんと再び会ったのは盛夏のある日、ある会の早朝ミーティングの時だった。ミーティングの始まる前の会場の準備に植村さんは忙しげだった。目立つタイプなのですぐに彼だと分かった。
それから以降、ミーティングで会うたびに植村さんとぽつぽつ話すようになった。陽性な性格らしく軽妙な語り口で、こちらの気を逸らすことなく、面白おかしく話は進んでいく。話していて楽しい相手だった。ただ政治家の知り合いなどなかったので、つい政治向きの方に話を振ったりしたことがあった。すると、必要な時にひょいと立ち上がって手際よく用事を片付ける腰の軽さはなくなって、その重心がずんとおさまり、今までのニコニコしていた表情は消え、こちらの目をまっすぐに見据えて語りはじめるのだ。その変化に驚かされた。
政治家というのはこういう人たちなのか。或いは植村佳史という人がそういう人間なのか。他に政治家を知らないのでよくわからないけれども、今までになかったことなのでとても印象に残っている。
県会議員の時のこと、植村佳史さんはえらい目にあった。
あのコロナウィルスに罹ったのだ。
奈良市で77人目、全国の国会、県会、市会議員の中で3人目、奈良県ではコロナに罹った最初の議員だった。一等賞なのである。(?)
「えらい目にあいましたわ」
まだコロナが何者かも知れず、現代のペストかと恐れ慄いていた人があったかどうか、テレビでは終末を煽るような深刻なトーンで溢れていた。
植村さんの罹患はすぐに知れた。まるで近所にゾンビが現れたような騒ぎになった。
「お、お前、お気楽に出歩いて、菌をそこいら中にばらまいたやろ!」
菌ちゃいます。ウィルスです。そ、そやかて知らんかったんやもん、私にも仕事がありますし、生活もあります。そうと診断されてからは隔離状態です。嫁さんと話もでけへん。
「だ、黙れ。県会議員のくせに、県民を率先垂範すべき立場やのに、真っ先にはやり病に罹りおって。恥を知れ!恥を!」
ええええ!あんた、そんなこと言われても、何も罹りたくてなったわけじゃなし、しゃーないですやんか、運が悪かったとは思いますけど・・・・。
「こ、こら、近づくな。近づいたらあかんって言うてるやろ。怨霊退散!怨霊退散!くわばら、くわばら、むにゃむにゃむにゃ・・・・・」
ああ、もー、処置なしや。喉は痛いし、身体はほてる。汗をやたらにかくから、下着ももうボトボトや。そやけど嫁さんに洗濯頼むわけにもいかん。身体だるいのに自分で洗濯せなならん。嗚呼やるせな。もー勘弁してえーな。
(以上、植村佳史氏の証言に基づき、記者が想像と邪推と偏見で再構成したものです。ですので、事実と異なるところもあるかもしれません。念のため)
なんでこんなに集中砲火を浴びるのかと情けなくなったけれど、植村佳史はただの男ではなかった。罹ってしまったものは仕方がない。だが日本の国難となるやも知れぬ禍の真っただ中にあって、政治に携わる者の一人としてできることはあるはずだと思ったのである。(エライ!)
まだ感染初期、熱が上がりだしてこれはどうもアレちゃうかと疑いはじめた。保健所に電話するとすぐに医者に行ってくださいと言う。ただ公共の交通機関はダメです、タクシーも駄目。家人に送ってもらうのなどもってのほか。伝染したらどうするんです。そう言うのだ。
じゃあ、なにかい?この炎天下の中、何キロも歩いて行けと言うのかい。
さすがに弱りはじめた体にそれはきつい。それで自分で車を運転して行ったのだが、熱のために時おりふらっとすることもある。あ、これはとてもじゃないが、はやり病がどうのこうのいう前に衝突事故をおこしてしまいそうだ。それで退院後、県に掛け合って罹患者のための車を用意するようにと要請した。
入院してからも毎日の自分の体調も記録しはじめた。体温の変化、体調のそれ、など諸々。まだ謎ばかりだったこのはやり病の解明に少しでも役立てばとのことだった。いまでもその時の記録データは彼の会社の書棚の中にしまわれている。
禍中にあったがゆえに、このはやり病のことを自分の体を通して体験することができた。そうした中でテレビや新聞の報道や、そういったメディアで訳知り顔の専門家たちが語っていることと自分の体験とに、ずいぶんとズレがあることに気づきはじめる。
「あれ、どーなってんの?」
人はテレビや新聞、さらには国の言うことには間違いがないだろうと、つい思ってしまう。だが植村さんは、どうもそうでもないのではないかと思いはじめた。当時、彼は一般人ではなく議員だった。ということはその筋に自分の疑問をぶつけることができる。で、お役人たちに尋ねてみた。そうすることで世に流布されているのとは異なる現実があるということを知ることになる。
例えば一番気になるところであるコロナによる死亡者数のことなのだが、その数に曖昧なところがあるのだ。調べていくと意外なことが分かった。
この間、交通事故で亡くなった方がある。自殺した人もいる。そのような人たちでも、その体内にコロナのウイルスが少しでも見つかった場合、すべてコロナによる死亡と報告されていた。明らかに死因が分かっているのにだ。
なぜそんなことをする?
当然の疑問が湧く。お役人に尋ねたところ、国からの指導でそうなっているとの答えだった。
「おかしいやんか、それ」
植村さんの言う道理が分かるから、お役人もしどろもどろになる。議会でそのことを問うと言うと、さすがにそれだけは勘弁してくれと泣きついた。
だったらと、植村さんは提案した。
「国の指導通り発表するにしても、その数字に付帯情報をつけようやないか。明らかにコロナによる死亡と、そうでないものとを峻別するんや」
そんなことをすると発表された数字はいかにもええ加減なものですと言っているようなものだが、植村議員の剣幕と力と道理を恐れた役所は、やむなくそうすることにしたらしい。この試みは日本では初めてのことであり、今現在の所、奈良県が唯一、峻別情報を発表している。
今は植村さんは県会議員ではない。だから県議としての様々なスキルを駆使することはできない。ただ議員でないからといって政治家を辞めたわけではない。政治家の役目が幸せで安心な生活を実現するために働くということであるなら、議会の中で動けなくてもやれることはいくらでもある。
いま植村さんはワクチンを接種することによって様々な身体的なトラブルに見舞われている人たちを援護する活動に携わっている。
このワクチンについては様々な噂があり、様々な意見がある。どちらかと言うと否定的な者もある。そういう者に対して、そうは言うけれど、何らかの具体的な証拠はあるのかと問い返す人がいる。
証拠だって?ちょっと待ってくれ。
ある現象になんらかの不具合な傾向があったとしたら、科学はそれらの間の因果関係の立証を求めるだろうが、政治はその流れをいったん止めて最悪を避けるべく方策を立てる必要があるのではないか。立証は後でいい。論文を書いてるのではない。命に向き合っているのだ。
あの猖獗を極めたはやり病、そしてそれを撲滅するために急きょ用意されたワクチン。それらの光の当たっている面だけでなく、陰に沈んでいる部分にも光を当てなければ、本当のことは分からない。自分の体験を通してそのことを体で知った植村さんは、あちらに行って、どうなんだと問いただし、そちらに立って道行く人たちに語りかけ、こちらに帰ってきて、仲間たちと事態の究明のために研鑽を積んでいる。
植村さんと話していると、
もうとっくに誰も口にしなくなった正義というものがあるんじゃないかと思えてくる。
それはとても青臭く、大人の分別とやらにまみれてしまった身には、とても誰彼となく喋れるものではないが、植村さんのずんと腰の据わった話を聞いているうちにそんな思いに駆られた。
政治というものにはまるで縁がないけれど、その元々の、さらにどんと原初に遡ってみたところにあるだろう「世のため、人のため」という言葉。わが身を捧げるのに「世のため、人のため」ほどのものがあるだろうかと、つい思ってしまう。
甘いかねえ。そうかもしれない。
うーん、甘いよねえ。否定はできない。
でもね、と思い返す。
やっぱり政治に無関心では、いけないんだよ。
うん、やっぱり、そうなんだよ。

